6、聖霊と終末
終末論については、多くの理論や学説がありますが、ここではその論争は避けて、ただ聖書を信じて
聖書に書いてあることを調べ、できるだけ聖書的な終末論と聖霊の働きについて学びたいと思います
(1)聖霊と艱難期
聖霊様の特別な働きは、教会をどのような環境においても守って下さることです。主イエス様が約束
して下さいました。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいてすべてのことを守るように
彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ・28:19〜20)
聖霊様は、御名をもって呼ばれる民を異邦人の中からお召しになります。
「神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。」
(使徒行伝・15:14)
千年王国説には、後千年説、無千年説、前千年説があります。
後千年説は、文字通りに千年王国の後にイエス・キリストの再臨があるという説です。キリストの再臨の前千年の間は、キリスト教の黄金期になり、世界人口の大部分がイエス・キリストを信じるようになった後に、イエス・キリストの再臨があるという説です。
無千年説は、文字通り千年王国は無く、キリストが再臨され、この世を審判された後、すぐに天国に
上がっていくという説です。
前千年説は、イエス・キリストの再臨は、千年王国の前であるという説であり、実際にこの地上で千年王国時代があると信じる説です。
「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
(ダニエル・9:27)
イエス・キリストの再臨と千年王国に入る前に、大患難期があると思います。大患難期は七年間になると思います。前三年半は、反キリストが出て偽装平和作戦を取り、後三年半は大患難の時になるでしょう。
世代主義者たち(デイスペンセーション主義:七年患難前携挙説を主張する)は、次のように言います。「患難期には、聖霊の働きは制限されます。なぜなら、ほとんどの信者が携挙されるからです。」
しかし、この説には聖書的根拠はあまりありません。むしろ全世界的患難期にも地上で救われる人は
多くいると聖書には書いてあります。
@ イスラエル人の回心
「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていただきたい。それは、あなたがたが自分で
自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなるときまでであり、」
(ローマ・11:25)
A 異邦人の回心
「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、
大声で叫んで言った。[救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。]御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、言った。[アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。]長老のひとりが私に話しかけて、[白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。
どこから来たのですか。]と言った。そこで、私は、[主よ。あなたこそ、ご存知です。]と言った。
すると、彼は私にこう言った。[彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることも、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。](黙示録・7:9〜17)
B 主の御名を呼ぶものは救われる
「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、私は、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。主の大いなる恐るべき日が来る前に、
太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」(ヨエル・2:28〜32)
「これは、預言者ヨエルによって語られたことです。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、私のしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは
上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな
救われる。』」(使徒行伝・2:16〜21)
患難期は、前無、後無の苦難の時代になるでしょう。しかし、主の御名を呼ぶ者は救われます。
「不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。」(Uテサロニケ・2:7)
「また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」(黙示録・13:16〜18)
しかし、イエス様は、「世の終わりまで信者とともにいます。」と約束して下さいました。聖書には、
大患難期に聖霊の力が制限されるとは書いてありません。むしろ、強く働いて下さり、地の果てまで
主イエスの福音を宣べ伝えることができるようにして下さるでしょう。
(2)千年王国と聖霊
千年王国は、新天新地ではありません。もちろんエデンの園でもありません。初めの天と初めの地の一部ではありますが、ノアの大洪水以前の天地でもありませんし、イエス・キリストの再臨される前の天地とも違います。もちろん、人間以外の被造物も喜ぶ時代になります。(詩篇・96:4〜6、T歴代誌・16:30〜33、ホセア・2:18、ローマ・8:19〜22参照) しかし、天国ではありません。千年という期間も、現在の時間で言う千年とは違うかも知れません。なぜなら、千年王国以前に宇宙の大変動があるからです。その時、太陽の位置や軌道の変動があるかも知れないからです。その期間は、神様が決められる期間になるでしょう。
「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前
では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(Uペテロ・3:8)
聖書を調べると、終末の順序は、次のようになります。
1、世の終わりの前兆(マタイ・24:3〜14)
2、世界福音伝道(マタイ・24:4〜20)
3、大患難期短縮(マタイ・24:21〜28)
4、宇宙の大変動(マタイ・24:29、黙示録・6:9〜8:13)
5、サタンの空中暴動(マタイ・24:29、黙示録・9:1〜13:18)
6、キリストの再臨の前兆と再臨(マタイ・24:30〜31、黙示録・14:1〜20)
7、審判(黙示録・15:1〜19:21)
8、サタン監禁(黙示録・20:1〜3)
9、第一の復活(マタイ・24:31、Tコリント・15:51〜54、Tテサロニケ・4:13〜
16<命の復活>、黙示録・20:4〜6)
10、生存聖徒の変化(Tコリント・15:51〜52)
11、空中迎接(Tテサロニケ・4:17)
12、千年統治(黙示録・20:4〜6)
13、サタンを審判(黙示録・20:7〜10)
14、天地の消滅(Uペテロ・3:7〜12、黙示録・20:11)
15、第二の復活(マタイ・25:31〜46、黙示録・20:12〜15<最終審判、第二の死。>)
16、新天新地(Uペテロ・3:13、黙示録・21:1)
17、新しいエルサレム(黙示録・21:2〜22:3)
18、天国(黙示録・22:3〜5)
聖書的千年王国時代は、神様が決定されることですから、神様の時間概念で理解すべきです。千年王国時代は、永遠の国でもありませんし、天国でもありません。
千年王国時代に聖霊様はどのような働きをなさるのでしょうか。
@ 実際的、可視的な国である
「この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さな子供がこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も
牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように地を満たすからである。その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は
彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。」(イザヤ・11:3〜10)
「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが立てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。」(イザヤ・65:21〜23)
「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきとともに産みの苦しみをしていることを知っています。」
(ローマ・8:19〜22)
A サタンの束縛
「また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。」
(黙示録・20:1〜3)
千年王国の末頃にサタンが一時的に開放されて、最後の誘惑をするでしょう。
B 千年時代に生まれる人がいれば、救いが必要となる
「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、
穀物を呼び寄せてそれをふやし、ききんをあなたがたに送らない。わたしは木の実と畑の産物をふやす。それであなたがたは、諸国の民の間で二度とききんのためにそしりを受けることはない。あなたがたは、自分たちの悪い行いと、良くなかったわざとを思い出し、自分たちの不義と忌みきらうべきわざをいとうようになる。」(エゼキエル・36:25〜31)
「見よ。その日が来る。−主の御告げ−その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい
契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れだした日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。−主の御告げ。−わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。−主の御告げ。−わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」
(エレミヤ・31:31〜34)
「あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。『
恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。わたしは潤いのない地に水を注ぎ
かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。彼らは、流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽生える。」(イザヤ・44:2〜4)
「あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。」(イザヤ・60:21)
生まれ変わりの奇跡がなければ、天の御国には入れません。
C 千年時代と信者
聖霊に満たされます。
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル・36:26)
「わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがたの地に住みつかせる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがこれを語り、
これを成し遂げたことを知ろう。−主の御告げ。−」(エゼキエル・37:14)
「わたしは二度とわたしの顔を彼らから隠さず、わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐ。−主の御
告げ。−」(エゼキエル・39:29)
「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。−主の御告げ。−わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ・31:33)
「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。」(イザヤ・32:15)
「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに
わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」(イザヤ・44:3)
(3)その後
永遠の天国に入ります。その時には、三位一体の神様と信者は、永遠に住むようになるのです。三位一体の神様と信者は、一致するようになるのです。天国では、礼拝と奉仕の生活が永遠に続けられるでしょう。
黙示録・2:3〜5、ヨハネ・4:23〜24、申命記・6:13、詩篇・95:6、99:5を参照してください。